読切小説
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冒頭コンペ企画『ただ、それだけでいいんです(仮題)』
 ナイフは右手に、フォークは左手に。
 目の前の彼女はさして面白くもなさそうな顔でステーキを切りきざんでいた。料理は美味しい。多分、美味しいのだと思う。彼女を不機嫌な顔にさせているのは、きっともっと別のことで、そしてそれは多分僕のことだ。美味しい料理のはずなのにそんな顔をされたら味がしなくなる。
「何を怒っているの?」
 だいたい想像つくけど。
「分かるでしょ? 聞かないで」
 キッとこちらを睨んで、また目の前のステーキに視線を戻す。食事は楽しく、というのが僕の信条なのにちっとも楽しくない。困った。
「あーっと」
 付け合わせのにんじんにフォークをさして、彼女を見る。こちらを見向きもしない。肉を口に運ぶたびに、イヤリングがキラリと揺れる。彼女の食事の仕方は美しい。見ていて惚れぼれするほど、動きがなめらかでエレガントだ。これで笑顔があればなお良しなんだけど。
「あれは、僕より君のほうが悪いんじゃないかと」
「何ですって?」
 口に運ぶ手を止めて、呆気にとられたように僕を見た。右手がナイフをぎゅっと持ち替えたのを見る。あ、これ刺されるやつだ。
「私の方が、悪いって、あなたはそう言うの?」
 一語ずつ区切りながら、ゆっくりと発音する。
「まぁ君の勘違いが原因な訳だし」
「勘違いさせるあなたが、悪いとは思っていないわけ?」
「えっいやあまあそうなんだけど、さ」
 あんなに激しく勘違いすると思わなかったし、というか、そもそも思考が飛躍しすぎだし。
 食事の手は止まらない。彼女も僕も、ずっと無言だ。何か言おうと思ったけれど、彼女の手の中に凶器がある状態では何を話しても刺されそうだ。間にテーブルがあることを幸運に思う。付け合わせの何だかよく分からない野菜、僕はにんじんと大根以外の菜類の区別がよく分からない。だけど、そのよく分からない野菜を咀嚼している時、彼女は不意に顔を上げて僕をまっすぐ見た。と、思ったらそらす。
「何?」
「私のこと」
 そこまで言って、肉を一切れ。
「愛してるって言ったくせに」
「うん。は?」
 それを否定した記憶なんて、ないんだけど。
「私、あなたにだったら食べられても良いのに」
「うんごめんちょっと意味が分からないかな」
「そのステーキがうらやましい。私もあなたの血肉になれたら」
 うわやばい奴だ。何か変なスイッチ入ってる。普段こういうこと言わないのに。
「えっと、それは何のスイッチですか?」
「こういう事言われて喜ぶ変態だと認識してた。違った?」
「違うよ! びっくりしたなもうすごい怖かったよ」
「あらそう」
 さらに小さくぼそぼそと呟く。何を言ったんだろう。知りたくない、知りたくないけど。
「君はそういうこと言うタイプじゃないじゃない」
「怒りに任せて適当なこと言いたくなったの」
「あ、まだ怒ってるの」
「当然でしょう?」
 私の怒りは大きくて深いのよ、と彼女は肉を一切れ。ゆっくりと咀嚼して、そしてゆっくりと飲み込む。なまめかしさすら感じるくらい、ゆっくりと。
 彼女はきっと、想像の中で僕の肉を食べているのだろう。それとも僕になりきって彼女の肉を食べているのか。
 うげ。すこし変な気分になってきた。これはよくない。それにこころなしか、さっきから胃がきしきしと痛むような気もする。
「なにか飲みたいな。お茶とか。なかったら水でもいいんだけどさ」
「自分でとってきて」
「場所がわからないよ。ここ、君の家でしょ? つまりそれは、ええと、要するに僕の家ではないってことだ」
 渾身のジョークにも彼女は笑わない。ちくしょう。
「食器棚はあそこ。水道はあっち」
 ひとさし指で場所を指示される。はいはい、と僕はなるべく気怠げに見えるような動きでそこへ向かう。
 こんなことになるなら。
 こんなことになるなら、はじめからあんなメール送らなければよかった。心の底からそう思う。初めて彼女の家に行く。そんな簡単なことで舞い上がってしまった自分を恨む。通いのバーで意気投合した彼女。次の日には恋人になっていた。デートで大須に行ったときは二人分の両手があっても足りないくらい服を買ったっけ。過ぎ去った蜜月の思い出はかくも美しい。
「君も水飲む?」
 コップを手に取りながら、一応聞く。
「私はお茶を飲みます」
「どこ」
「そこのやかんの中」
 自分の分と彼女の分、二杯分のお茶をコップに入れて、テーブルに戻る。差し出したお茶を、彼女は一息にごくごくと飲み干した。
「行儀悪いなあ、もう」
「うるさい」
 とりつく島もなかった。
「あーもう、時間が巻き戻ればいいのに。そしたらあんなメール一通にぬか喜びされられないですんだでしょう? 私だって、その、そういう趣味、を暴露しないで済んだわけだし。はぁ、なんであんな勘違いしちゃったんだろう」
 わめきながら彼女は頭をかかえこんでしまった。このポーズ、どこかで見覚えがあると思ったらあれだ。夜中に黒歴史を思い出して身もだえする時のあれだ。
「いいじゃんいいじゃん。確かにさ、君かっこの手料理かっことじを滅茶苦茶に食べたい、なんて冗談メールでSM趣味まで連想するとは思ってもなかったけど。でも僕は君にマゾっ気があろうがサドっ気があろうがどっちでも気にしないし、どっちでも受け入れるしわかったわかったごめんってごめん本当ごめんだからそのフォーク降ろして」
「その重要なかっこ内を省いて送ったのはどこのバカよ? あーあ、一生の不覚だわ。あれだけ気の合う人だから、もしかしたら、なんて浮かれちゃって。言っておくけど、誰かに密告し(チクっ)たら本当に刺すからね。そして私も死んでやるから」
「大丈夫、言わないし、笑わないし、むしろ君が喜ぶなら僕は本気でそれに付きあうつもりだから。だからはやくフォークを降ろして。あと機嫌も直して」
「……ほんとう?」
「本当本当。だからフォーク」
「じゃあ、あなたの性癖も教えてよ」
「僕? 僕は胸よりお尻派……ちょっ、タンマ、なんで? しかたないじゃん。だって僕、変態性癖なんて持ってな、ぎゃああああ!」
 刺された。
 というと、ちょっと大袈裟だけど。フォークの柄のところで腿をぐりぐりとやられて、これがまた痛いんだ。
「あの、そんな恍惚とした表情浮かべないでもらえる……?」
「だってあなた、受け入れて付きあってくれるって言ったでしょ?」
 そりゃ確かに言ったけどさ。うん。確かに言ったさ。……言ったから仕方ないか。それに彼女が笑ってくれるんなら、これしきの痛み、むしろ気持ちいいくらいじゃないか。そうだろ、ジョー?
 僕は遠い昔に夜空の星となったジョーに思いを馳せ、彼女は機嫌良さげに、にこにことステーキを食べ始める。
 やったぜジョー、まごうことなきハッピーエンドだ。
 きらん、と天井の向こうで一等星が輝いた気がした。

  ●

 二人で洗い物をしている最中、ふと気になって聞いてみた。
「そういえば、さっきのやつ、本当に適当に言ったの?」
「え、なにが? さっきのって?」
「いや、覚えてないならいいんだけどさ。すごいくだらない話だし」
 彼女の気持ちは分からないでもない。これだけ気の合う僕らなんだ。もしかしたら趣味だって同じだと言うこともありえるかもしれない。だから僕もつい思いあまってあんなメールを送ってしまったってわけ。その通り。僕は嘘をついたさ。だけど彼女のあれだって実はただのブラフなのかもしれない。誰だって本当の趣味を知られることは怖いことだからね。だからまだ希望は捨ててない。それに言ったはずだ。僕はどっちでもいいんだ。今度は僕がジョーみたいになる番かもしれない。それはそれで悪くない気分だ。もし仮にそういうことそのものに抵抗があっても、ちょびっとだけなら彼女だって受け入れてくれるかもしれない。可能性は無限大で、だから僕は絶対に諦めない。可能性は諦めたその時に潰えるんだ。僕がジョーとひとつになることが出来たのは、つまりはこの諦めの悪さが勝因だったってこと。今回だって、諦めさえしなければいつかその時が来るだろう。それは本当に楽しみなことだ。
「ねぇ、僕たち、ずっと一緒にいられるかな?」
「もちろんよ。私と、そしてあなたが望む限りずっとね」
16/02/18 20:00更新 / 弥田

■作者メッセージ
切り替えポイントは「ゆっくりと飲み込む。/なまめかしさすら」です。基本的に原文そのまま。
正直に言うともっと大胆に飛躍したかったという思いもなきにしもあらず。更ナル挑戦者求ム。

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