読切小説
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冒頭コンペ企画「幻煙」(仮題)
  古来より仙道を修めた者は、霞を食して暮らして来たらしい。
 また、深海に住まいしチューブワームは硫化水素を食らって生きるのだとか。
 かくのごとく、神の似姿とされる高等な生物から、進化の源流にある下等な生物に至るまで、気体を主食とするものは決して少なくない。
 かく言う私もまた、これら「気体食らい」の1人だ。
 私の日々の糧はタバコであり、その業なき清らかな魂たるや、菜食主義者も真っ青になって逃げ出す程なのだ……。

 以上の様なことを大学構内のカフェテリアで草根みぃ子に熱弁したところ、彼女はそうですか、と軽く流した。
「君、それはいささか冷淡にすぎやしないか? 私の壮大な発想を目の当たりにして驚いているのだとしても度が過ぎるってもんだ。私が欲するのは賞賛の拍手であり、またそれこそが私の唯一の主食なのだから。そうだろう?」
「先輩、冗談はその真丸したお腹だけにして下さい。法螺の吹き方にも限度ってものがあるでしょうに。いっそ本当にタバコだけで生活して、ピリッとダイエットなどしたらどうです?」
 彼女が語ったかくの如き言葉は、私の闘争心をいたく刺激した。そう、あたかもタバコの先端にゆらゆらとゆらめく火種のごとく、それは小さいながら底知れぬ熱量を秘めていた。
 私はすっくと立ち上がる。右手にはシガレットケースを、そして左手には店の伝票を持って。
「いいだろう。そこまで言うなら見せてやろう。1週間後、私は断食僧にも似た身体を手に入れる。その美しき裸体にとくと見とれるが良い!」
「1週間で普通の人間の体型には戻れないと思いますけど……。まあ、期待せずに待っています」
 草根はそう言うと、少しだけ口元を上げた。
 笑いを噛み殺しているのだと判ったのは、彼女と別れて10カートンの煙草を買いにコンビニへと走っている最中の事だった。
「くそ、草根みぃ子、今に見てろ!」
 私の叫びは、夕暮れに優しく包み込まれて行った。

 10カートンもの煙草が入った袋を下げて下宿先のアパートへ戻る。いつもの様にチェーンはせずに鍵だけかけて、部屋の中に入ると、私は早速、本日の食事を始めた。
 胸ポケットにしまってあるシガレットケースの中身を確認すると、まだ7本残っていたので、それを一気に吸ってしまう。聖なる秘蹟を受けた様に、身体が浄化されて行くのが判った。
「さてと……」
 私は買ってきた煙草の山を見つめる。全てセブンスターだ。
 現在、煙草は100箱ある計算となるので、全部で2000本吸う事が出来る。
 1週間で全てを吸う事が可能かどうかは判らないが、1度に3本をまとめて吸うとすればそれ程無理な相談でもなかろう。
 すでにこれからの1週間、大学を自主休校する事は確定しているので、朝から晩まで煙草と向き合える訳だ。
 私は試しに煙草を3本抜き取り、口に加える。火を同時に付けて吸い込むと、通常の3倍の刺激が私を襲った。
 目くるめくとは正にこの事で、煙が血肉となって行くのが良く判る。
 目一杯煙を吸い込むと、私はフゥッと吐き出した。
 大量の白い煙が辺りに充満し、カーテンを引いた様な具合になった。
 襞まではっきりと見える。
「ほほう、こいつは中々にリアルだな」
 そう呟くと、私はもう一度煙を吸い込んだ。
 今度も肺が煙で満杯になるまで吸い込むと、未だに消えない煙のカーテンへと勢い良く吐き出す。
 すると、どうだろう。カーテンの手前に煙が集合し、人が佇んでいる様に見えるではないか。
 煙が何かの形に見えるというのは、ロールシャッハテストなんぞで言及される事だが、これ程はっきりと形を取るのも珍しい。
 煙が作り上げたのは、女だった。長い黒髪が艶かしく、白いワンピースを軽やかに着こなしている。自分が作り上げた幻覚とは思えないほど、それは美しい姿だった。
 すると、突然女が私の手を取って来た。人の温もりが伝わる。
 私は馬鹿みたいに突っ立っていたのだろう。女は私のそんな姿を、慈愛に満ちた表情のまま見ていたが、やがて耳元にそっと口を近づけた。
「煙を吐き続けて。そうすれば、素敵なのだけれど」
 声という名の妙なる音楽を聴いている様だった。私は女の声に心酔し、頷くと、またもや目一杯に煙を吸って、吐いた。
 すると、目の前のカーテンがパッと開いて、全開になった窓が見えた。
 遠くに緑の森と紺碧の海が見える。穏やかな風が窓からこちらへと吹いて来た。微かに、潮の香りがする様だ。
「さあ、行きましょう」
 女はそう言うと、私の手を取った。私は既に短くなった3本の吸殻を捨てると、次の3本を口にあてがいつつ、女に誘われるがままに窓の外へと向かった。
「怖がらなくても良いわ。あなたの吐息が、力を与えてくれる筈だから」
 女はそう言うと、私と共に窓から外へと出た。
 するとどうだろう、私達の身体はそのまま空高くへと舞い上がって行った。
 後ろを振り返れば、先ほど出てきた窓が見えた。しかし、それはアパートの窓ではなく、立派な洋館のフランス窓であった。
 視線を前方に向ければ、先ほど見えていた森が真下に、そして遠くの方に地平線まで広がる海が見えている。これほど綺麗な景色を、私は今まで見たことがなかった。
 いつの間にか、女は私のライターを手にしており、そっと、新しい3本の煙草に火を付けてくれた。
「有難う」
 私はそこで初めて女に声をかけた。
「どういたしまして」
 女はニコリと微笑む。笑窪が愛らしい。
「空を飛ぶ気分は如何?」
「久米の仙人の気分です」
 私は正直に答えた。そして、またもや思い切り煙を海の方へと吐き出した。
 途端に、海の中央に線路が敷かれ、何十両もあるかと思われる蒸気機関車が汽笛も高らかに、地平線へと向かって突き進むのが見えた。
「このまま海を渡っていったらどうなるんでしょう?」
 私は女に尋ねた。すると、女は少しだけ首を傾げた。
「さあ、どうでしょうね? 勿論、私たちも海の向こうへ進んでいるけれど、この先に何があるかは判らないわ」
 すでに私達は森を抜け、海に飛び出していた。
「まあ、重要なのは、試してみる事ね」
 女はそう言って、私の口元にある物を指差した。
「なるほど」
 私は頷いて、煙を吐いてみた。
 すると、先ほどまでは何も無かった海の先に、海岸線が見えた。
「理想的な新大陸ね」
「全くです」
 空を飛びながら、私達はクスクスと笑いあった。
 口元に加えた煙草がまたもや短くなってしまったので、私はそれをポイと放り捨てた。すると、すかさず女がどこから取り出したのか、煙草を3本私の口に入れてくれた。そして、ライターで火を付ける。
 放り捨てた吸殻はと見れば、海へと落ちる前に小さな白い花弁となっていた。
「環境にも優しい、という訳だ」
 私は新しい煙を吐きつつ、満足気に呟いていた。

 その後も、私と女の旅は続いた。
 私が煙を一吐きすれば、目の前にぺガススの大群が現れ、霧の都ロンドンが海上から出没し、海を走る蒸気機関車が何十台にも増えた。
 久米の仙人は空を飛ぶ事が出来たが、私は煙を食らう事で、新しい世界を作る事が出来た。それは死と再生の物語にも似ており、自分がその物語を紡ぐ重要な存在である事も知っていた。
 真横を飛ぶ女は、そんな私に時折楽しそうに話しかけたし、私が新しい物を煙から生み出す度に、嬉しそうに微笑んだ。
 煙草は何本でも無尽蔵に出て来た。
 私はこの世界を作る事にいつしか夢中になっていた。
 ある時、女がふと私に言った。
「あなた、大分スリムになって来たわね」
 そう言われて、私はハッと気がついた。
 確かに、体型が変わっていた。あれほど丸かった身体が、今はスラリとしている。
「煙ばかり喰っているからね」
「ダイエットにはもってこいね」
 女のその言葉に、私は少しだけ引っかかりを覚えた。
 何だか、どこかで聞いた事のある様な言葉だったからだ。
 そう思いながら、私はまた煙を吐き出していた。
 すると急に、一陣の突風が私達を襲い、吐き出した煙は後ろへと流されてしまった。
「あっ!」
 私が叫んで振り返ると、後ろで煙が形を変えている最中だった。
 横で女が息を呑むのが判った。
 私達はその場で制止した。もうずっと進む事しかしていなかったので、立ち止まるという動作が新鮮だった。
 煙はゆっくりと、でも確かにある形を取ろうとしていた。
 やがて、それが何であるかが判った。
 見た事のある扉だった。
 そして、扉の向こう側から声が聞こえて来た。
「先輩? 大丈夫ですか? 先輩? 1週間も学校に来ないから、皆心配してるんですよ?」
「おおい、大丈夫かい?」
 1つは若い女の声、そしてもう1つは年老いた男の声だった。
 気付けば、私は声を張り上げていた。
「だ、大丈夫です! 大丈夫ですから!」
 途端に、ピタリと声が止んだ。
 ホッとしたのも束の間、年老いた男の声がした。
「何だか苦しそうだな……。急病なのかも知れない」
「ええ、そうですね。やっぱり、開けて頂いても大丈夫ですか?」
 若い女の声が答える。
「いけないわ、あいつら、入ってくる!」
 女が叫んだ。
 途端に、ガチャガチャと音がし始めた。
「あの扉を開けさせないで! 早く!」
 それまで聞いた事もない様な叫び声を、女は上げた。
 私は弾かれた様に扉の方へ向かおうとしたが、どうした事か上手く前に進めない。
「ああ、早く! 早くして!」
 女が金切り声を上げ、私がもう少しで扉に触れられると思った時だった。
 ガチャリと音がして、扉が開いた。
 途端に、物凄い悲鳴が後ろでした。そして、部屋の中に充満していた煙が、一気に外へと溢れ出した。
「う、うわ、何だこりゃ!」
 アパートの大家が驚いて仰け反るのが判った。
 それと同時に、私が煙から作り出していた物が全て消えた。
 海も都市もぺガススも蒸気機関車も、全てが全て、灰色の煙と化して、外へと流れて行ってしまう。
「ああ、そんな……」
 私はそう言いながら、どっと前に倒れこんだ。
 口からせり上がって来る物があったので、その場に吐き出した。
 口中一杯に鉄錆の味がした。
「せ、先輩! 大丈夫ですか!」
 草根みぃ子が悲鳴を上げるのが判った。
 私は血を吐き続けながら、痩せ細った自分の身体を見ていた。
 自分の命を削って、煙に魂を吹き込んでいた事に、遅まきながら気が付いた。
 久米の仙人は女の脹脛を見て、地に墜ちたそうだ。
 ならば、私はどうなのだろう。さしずめ、アパートの扉のチェーンをし忘れたがために、夢を破られる事になった、という所だろうか。
 止まらない血が、大きな水溜りを床に作っている。
 その色は、自分が作っていたどの幻よりも鮮やかだった。
 薄れ行く意識の中、草根みぃ子が泣きながら電話をしているのが判る。
 この娘にこれだけ心配されているのだから、自分の人生も悪くはないな、とその時になって思ったが、その感情を十分に味わい切る前に、私の意識はフッツリと途切れてしまったのだった……。
16/02/20 10:49更新 / 渋江照彦

■作者メッセージ
 切り替えの箇所は「まあ、期待せずに待っています」・「草根はそう言うと、少しだけ口元を上げた」となります。ちょくちょく変わったり、原文にはない文章が入っていたりしているかと思います。
 まあ、何時も通りの仕上がりかなぁという感じです。皆さんの期待を良い意味で裏切れたのであれば幸いです。
 という事で、今回はこれにて。

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