読切小説
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【論文】『虚ろな演者は踊る、宇宙と云う名の入れ子の失楽園にて。

人類が自らの思考や理性の本質を求めて続けて幾百年も経った。
哲学者デカルトは人類の存在について思考を続け、『我思う、故に我あり』と人間の自意識を評した。此の世界に於いて自らの思考が唯一確実に実存する、と一人の人間は自己存在を表明したのだ。
また、哲学者パスカルは『人間は考える葦である。しかしその思考は宇宙をも包括する』と人間の叡智を過大に評価した。つまりは矮小な自分の存在を自覚することは理性と思考を持つ我々人類にしか成し得ない芸当であると判断した。
彼らの理論は素晴らしものであった。夢物語としては。
デカルトの考えはただの妄想であった。彼の理論は後世において存在証明すら確実で無いと主張する混沌とした集団的意識の波に呑まれ畢竟、理性の虚像と科学技術のみが肥大化した現代に至る迄其の自己認識が確実に存在すると言える論拠は終ぞ示せてはいない。自己による自己の存在証明はやがて循環論法に陥り破綻したのだ。
パスカルもまた、空想家であった。結局彼の理想像は所詮幻想であり、我々人類の存在は彼が考えるよりも遥かに矮小で、その思考すら卑小であったのだ。井の中に棲む者が見る大海とは未だ井の中であるという思考には終ぞ至ることは叶わず、舞台上の全てを知り尽くしたと勘違いした演者は植え付けられた偽りの設定を己のアイデンティティであると誤認し、人形師の意のままに動く内に哲学的ゾンビに成り下がってしまったのだ。そして自己の本質を見失った演者は操る者の存在にも舞台外の世界にも気付く事は出来無い。
そして人類の妄想の奔りを止めることは叶わず、哲学者サルトルは矢張り驕る人類を後押しするかのように人間について『実存は本質に先立つ』と表してしまったのだ。人類の棲む世界の外の存在に対して判断停止を行うことによって。

さて、ここで一つ宇宙の話をしよう。ここで言う宇宙とは、『我々』の棲む宇宙では無い。「『我々の棲む宇宙』を作った者の棲む宇宙」の話である。話の簡単の為に、ここでは『我々の棲む宇宙』を創った者達を『マキナ』、そしてマキナ達が棲む宇宙のことを『スケーナ』という固有名詞で表すこととする。

我々の宇宙の誕生を説明する前に、スケーナについて説明しなければならない。此の宇宙の物体は幅、高さ、奥行きともう一つ、『内包』を持つ。我々の世界の言葉で簡潔に説明すると、空間軸のXYZの他にもう一つW軸も存在する、と言えば明快だろう。内包世界に住むマキナ達は我々の視点で言えば何処にでも存在し、何処にも存在しない。マキナ達は四次元の世界で思考し、四次元の世界で生命を循環させる。いや、寧ろそれは人間主体で世界を考えすぎであり適切な表現でない。寧ろ我々人類の方がマキナの模倣をしていると言った方が正しいと言える。
さて、マキナ達は我々にはできないある特殊能力のようなものがある。それは我々が絵を描くように自由に夢想した空間を描くことができる能力である。つまり、其の世界の住人は皆自分だけの宇宙を創造する事ができる。そう、この宇宙とはある一人のマキナによって形成された一つの世界にすぎないのだ。
偉大なるこの宇宙の創世者の少女を仮に「茉来奈」と名付けよう。
彼女はある日思い描いた宇宙という夢想を片手間に描き上げたにすぎない。小さなエネルギーの凝縮した零次元から爆発的に膨らませるビックバンによって宇宙という三次元空間はできたのだと彼女は妄想し、そしてその空想を実際に描いた。我々の棲む宇宙はたった一人の少女である茉来奈の思考によって包括されていたのだ。三次元の物理法則に支配された宇宙空間では原初から彼女が計算した関数通りに全ての物質は動き、空を覆う無数の星の瞬きの全ては彼女の吐息一つで輝きを明滅し、広大で果てのないように思われるこの宇宙は彼女が腕を一振りするだけで意のままに廻転する。

人形師は自らの最高の幻想舞台を作り上げた。

さて、以上によりこの宇宙という舞台がマキナと呼ばれる創造神によって造られたという説明は完了したが、折角なので演者の話もしよう。
彼女は全てのものが自らの定めた関数の通りに動く幻想的な空間を生み出したが、冷たい無機質な美しさに一抹の物寂しさを感じた。理想郷の舞台を作り上げた彼女は、演者を配置したいと思ったのだ。
それは、合理性を追求するだけの無機質な存在ではない。
それは、イレギュラーな動きを行い、見ていて面白い存在だ。
それは、乱数的な挙動、気まぐれで先の読めず、そして不完全で不可解な存在だ。
それは、まるで私達マキナのような――――――

――そして少女は宇宙に生命を誕生させた。

進化とは連綿と続く連続関数でなくてはならない。機械的で低次の関数で動く原初の生物、その糸、粒が次第に体を分かち分化して行く。一つの細胞で完結していた活動は群を成しやがて複雑にその機能を高度化させて行く。水の中でしか保持され得ぬその体躯はやがて水から解き放たれ、時には地からも解き放たれる。大きな種が力を振るうも理不尽に打ちのめされ、そしてそのうちの一つの種――つまり我々――が遂にマキナの模倣を行い始めた。
そう、我々は演者なのだ。我々は観客であり、脚本家であり、そして舞台監督である彼女を愉しませる為にプログラミングされた舞台上の一要素に過ぎず、我々の動作一挙動全ての根底には我々の自意識はない。乱数的に定められた無意識の根底には神の意思がある。我々人類の歴史の転換点も、世紀の発明も、疫病も、虐殺も、死別の涙も、輪廻転成も、そして運命も永遠の愛でさえももすべて刹那の乱数の結果であるのだ。

この宇宙の全ての事象は宇宙誕生から連綿と続く一連のプログラムだ。宇宙を包括すると称された我々の思考能力は所詮宇宙に包括される範囲のものでしかなく、我々の実存は神によって造られた、あるいは模造された張りぼての本質に先立たれている。偶然とは必然である。我々は自らの意思で扉を選び自らの進む場所を決定していると思い込んでいるが、それは結局目的地に向かう経路を選択しているに過ぎず到達する場所は存在する前から定められてるのだ。
我々の意識は、この宇宙の存在は、儚い。
「あれ?この世界生き物が増えすぎちゃったかな。っていうか、正直この宇宙あんまりいい感じにできなかったし、このもう一つの方が結構上手く完成したんだよねー。じゃあ、もうこの宇宙は無かったことにしようかな。」
幼気な少女の一言で我々の宇宙ははいとも容易く終焉を迎える。

そしてその私達にとって全知全能の神である少女茉来奈は知らない。自らの存在も、その行動様式も、そして自らの空想である三次元宇宙を創造したという行動についても、全ては彼女のさらに上位次元の者によって模造されたものである事を。彼女もまた、誰かの気まぐれで儚く消えてしまう存在であることを。
17/06/06 12:14更新 / COMA

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